経歴・解説
オリョール県ヴォイナ生まれ。家庭が経済的に厳しく、また幼い頃から健康に恵まれなかったが、家系が宗教的な環境にあったこともあり神学校で学び、さらにモスクワ・フィルハーモニー協会の音楽演劇学校でファゴットを学んで音楽的才能を伸ばした。この頃から各地の劇場のオーケストラで演奏し、また後進の指導をするなどして生活費を稼いだ。1892年にモスクワ音楽院で作曲およびファゴットを修了。いくつかの音楽学校で教鞭をとり、さらにチャイコフスキーの推挙でモスクワのマールイ劇場の指揮者に就任、翌年にはモスクワ・イタリア劇場の指揮者となるが、すぐに病状が悪化して演奏活動を断念することになる。93年以降は療養のため、ほとんどをクリミアのヤルタで暮らした。ラフマニノフら、モスクワの友人たちの援助もあったが、結局、結核によって34歳の若さで他界した。
モスクワ楽派と国民楽派の伝統のもと、叙情性に富んだ音楽を生み、特に2曲の交響曲は評価が高い。
| ジャンル | 曲名 | 作曲年 | 初演 | 更新日 |
|---|---|---|---|---|
| 交響曲 | 交響曲 第1番 ト短調 | 1894〜5 | 1897 | 2006年8月10日 |
| 交響曲 第2番 イ長調 | 1895〜7 | 1898 | 2006年8月10日 |